大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和30年(あ)2246号 決定

上告人 敷田義視

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人猿渡脩蔵の上告趣意第一、二点は事実誤認、同第三点は量刑不当の各主張であつて、いずれも刑訴四〇五条の上告理由に当らない。また記録を調べても同四一一条を適用すべきものとは認められない(過失犯の起訴はその後適式に訴因、罰条の変更により故意犯に訂正されている)。

よつて同四一四条、三八六条一項三号により裁判官全員一致の意見で主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 島保 裁判官 河村又介 裁判官 小林俟三 裁判官 本村善太郎 裁判官 垂水克己)

昭和三〇年第二二四六号

被告上 敷田義視

弁護人猿渡脩蔵の上告趣意

右の者に対する児童福祉法違反被告事件につき言渡された原判決は左記理由により破棄し更に相当御判決あらんことを求める。

原判決は判決に影響を及ぼすべき事実の誤認があつて之を破棄しなければ著るしく正義に反するものと認められるから刑事訴訟法第四一一条を適用せられ破棄せらるべきものと信ずる。

第一点原審は被告人が児童である○田○チ○を従業婦として雇入れたことを認定するにあたり唯一の証言として同女の供述を証拠として採用しているが、これのみによつて当初過失犯として起訴されたものを後に故意犯と認定したのは事実の認定を誤つたものでありひいては刑の量定が甚だしく不当となつたものである。

○田○チ○の供述がしかく信憑するに足るものでないことを証するために各関係者の供述の要点を摘示して比較検討すると次の通りである。

○田○チ○は公判廷に於て

「それまで家庭で編物をして居たが家庭が面白くないのでお金のとれる所はないかと考えている矢先、緒方英昭がお金の取れる所に連れて行くからと云つて被告人方に行つた。

被告人から年を尋ねられたので昭和十一年六月二十五日生と答えたら年が足らんと云はれ満十八才にならんから雇はないと云はれた。

緒方はそこを何とか雇つて下さいといつて平身低頭して頼んだ被告人は客に年を尋ねられたら満十八才だと嘘が云はれるか、

十八才にならない者を雇うと営業停止になるから大変だが十八才と云えるかと云つた。

田島に年を聞かれた事はない。

緒方との交際は被告人方に連れて行かれる二日前で肉体関係は二回である」云々

右の様な趣旨を供述しているのに対し

緒方英昭は

検察官に対する第一回供述調書に於て

「昭和二十九年一月初頃雑飼隈の旅館で初めて関係してから大浜(被告人方)に世話するまで二十回位関係した。

店の男主人にはつきり女中に雇つてくれと頼んだ。

○田○チ○の年などは全然話題に上つていない。

又○田が本当の年の昭和十一年六月生と話したところ主人が年が足らんと言つたのではないかとのお尋ねであるが○田が生年月日を話したこともなく店の主人から断られた様な事もない。

当時雇つて貰うため店の主人と話合つていたときには私は席を外さなかつたが年の話は出て居ない」云々

検察事務官に対する第二回供述調書に於て

「前回女中として使つてくれと頼んだと云つたがこの点が違つている、私は最初ミスO・Kに○田を雇つて貰う話をした時には女中に使つて貰うつもりであつたが主人に女中なら雇はぬと断はられたので従業婦として雇つてくれと話を変えた」云々

公判廷に於て

「昭和二十八年十二月中旬頃「千年」という雑飼隈の飲食店で初めて知合つて以来旅館「筑仙」とか「筑紫荘」などに泊り前後二十回以上関係した。

年のことはよく記憶しないが○チ○は年が二十か二十一になる様に云つたと思うが数え年か満か何と云つたか判らない。

被告人は市役所を調べると判ると云つて居たが○チ○は間違ないと云つて居た頭を下げて雇入れて貰うよう頼んだことはない。

その際(証人が五月十日頃○チ○の父母等と被告人方に行つた時)被告人が○チ○の父から叱られて○チ○のほんとうの年を知り乍ら雇つたということは云つて居ない、又その際○チ○の父は十六才になつたばかりだと云い出方によつては警察に突込むと云つた。

○チ○の年は知らなかつた」云々

右の様な趣旨を供述して居り○田○チ○の供述と各所に相違した点がある、先づ(一)○田は被告人方に行く迄は家庭で編物をして居り被告人方に行く二日前から緒方と交際し肉体関係は二回にすぎないと云つているのは、緒方は昭和二十八年十二月中旬頃飲食店で知合い以来二十回以上関係して居ると云つている(二)○田は被告人に対しはつきり十八才未満と云つたと供述して居るが緒方は○田が二十才か二十一才になると云つたと思うと云つて居る。(三)○田は緒方が平身低頭して頼んだと云つているが緒方はそんなことはしなかつたと云つて居る。

そこで更に田島フヂヱの供述を検討してみると

田島は

司法警察員に対する昭和二十九年六月十六日付供述調書に於て

「途中○チ○が親に会つて飲食店に勤めて居るよう云つてくれとどうしても云うので私はそんな嘘を云つてもすぐばれるから云はないと云つたら○チ○がばれたら自分が責任を持つというのでそのまま○田の家に行つて娘から頼まれた様に飲食店で働いて居ると云つた。

雑飼隈や天神町の酒場を渡つて居たということである。

その後○チ○はずつと働いて居たある人が身請に来るとか、どの人がキープするとか」云々

公判廷に於て

「○田が初めてと聞いたが客に接するのに笑つてなれていた、又客を取るときも自分から客を連れてさつさと二階に上つたりして初めてとは思はれなかつた。

来て二、三日していくつかと聞いたら二十才と云つていた、その後も二十才と云つていた。

他の朋輩にもそう云つていたそれから体格もよいので私はほんとうに二十才だと思つたそれからその翌晩かに父母と田中と三人で店に来て○チ○に暴力を振つた、田中というのは○チ○の話によると○チ○の処女を破つた男でそれからやけくそになつたということで予備隊員は三人目の男ということである」云々

右の様な趣旨を供述して居り之と他の石橋みどり、橋本ゆきえ、徳重数子等の公判廷の各供述とを綜合してみると、すれつからしな○田○チ○の供述より寧ろ緒方や田島等の供述の方がより一層措信するに足るものとみるべきである。殊に○田○チ○の如く家庭貧困のため犠牲となつて所謂苦海に入つたものでなく情夫の仲介で被告人方に来たのであるから満十八才未満と云えば余りにませすぎて居ると周囲から思はれることをはぢて年令を殊更に多く云うものである、この事は原審が証拠としては採用しなかつたが証拠能力のある医師白石薫作成の証明書によると初診日が昭和二十九年五月二十四日となつて居りその日は○田○チ○(○田○千○と変名を用いている)が被告人方を出て間も無くであるのに同医師に対しても二十才と云つて居るところからも其迄ずつと左様に云つて居た為に同医師にも左様に云つたものであると云うことができる。

更に前示○田○チ○の供述中被告人が同女に対し客が年を尋ねたら満十八才だと嘘が云えるか十八才にならない者を雇つてばれて営業停止になると大変だという趣旨の事を云つたとの事であるが、被告人自身営業停止になることを充分承知して之を恐れて居り乍ら敢てその様な危険を冒す筈はないのである、そのときの被告人の心境としては○チ○を雇入れる当初から所謂紐付で何時まで居るか判らない女であるから自由にさせて置けばよい年も後から調べてみればよいと軽く考えて居たものである。

その様な心境は前示緒方英昭の供述中にも被告人が年は市役所で調べれば判ると云つたという趣旨を述べている事や被告人の昭和二十九年六月十六日附司法警察員に対する供述調書中に於ても「雇入れて三日内に福岡市役所戸籍課に問合せたところ○田○右○門の寄留がなかつたので本籍も判らず結局年令も判らなかつた」と述べて居る事などから被告人は○田○チ○が十八才未満ということを聞いたものではないことが明かである。

以上の諸点を綜合するときは被告人は○田○チ○が二十才であると云つた事を一応信用して後から調べることにして雇入れ、何時何処に行くか判らない女だからと思つて年令の調査を怠つて居たものであると判断するのが正しいと思料する。

第二点○田○チ○の父、○田○右○門が貧困なところから此の好機として被告人から金品を出来る限り搾取するため被告人を窮地に追込もうとしたものであるから○チ○等の供述は俄に措信し難いものである。

田島フヂヱは

司法警察員に対する昭和二十九年六月十六日附供述調書中

「○チ○はちよいちよい家に帰つて居たが帰つて来ては今兄達が財産分けの話でもめて兄二人は家出しているので自分と電気ビルで働いている姉と二人で親に加勢せねばならないと云つて店のお父さんから金を借りて帰つていた。

私としても之な事から○田夫婦から脅迫され兄は兄で脅迫に来て居たので私も店をやめたが私としても之な嘘をつく娘からやられて一番馬鹿を見た様な訳で腹が立つてならない」云々

又公判廷に於て

「○田の父の生活費は娘から金を貰つていたという事で二人の兄は放蕩児で家出したと聞いた」云々

という趣旨を供述して居り

緒方英昭は前示供述中「○チ○の父が緒方や被告人等に対し○チ○は十六才になつたばかりである。出方によつては警察に突込むぞと云つた」趣旨を述べて居り、被告人は司法警察員に対する昭和二十九年六月六日附供述調書中「五月十一日朝で父が病院に入院しているから病院代(三千円)を払うというので貸してやつたとき○チ○から電話がかゝつてお父さんが来たいと云うが来てもいゝかと云うと午後三時頃○チ○の父という五十一、二才位の人が保安隊の緒方と兄と母と別に○チ○の元の情夫である田中某(二十二才)と本人が店にやつて来たので私は驚いてしまつたそして○チ○の父が満十六才にしかならないうちの娘を何事働かせたかと云つたので二度驚いた。

それでどうしてくれるかと云うので私は満十八才になつて居ないと判つて居れば雇いもしないし、又親の所に行くとか、兄のところに行くとかあつちこつち行くと言うのに判つて居れば出しはしない。

それにいくらと云えば幾らと金を出してやつて居る、又その時水揚料も出してやつて居るからその金を受取つて居て外の所で働いて居るならこんな金の出来る筈はない位の事は判る筈と云つてやつた、すると兄はヒロポンの注射をするとかで田中と一所になり警察に云うとか何とか云うので私は前借金の支払はよい、女の荷物も全部持つて行つてくれその代り警察沙汰にしないでくれと頼んだ。

○田の父は俺も今迄遊んだ事のある男だと云つた。

この時初めて○田○チ○が年が足らない事が判つたので五月十一日荷物全部持たせて帰えしたが店に来たときは身体一つで来たのに前借金一八、二〇五円の支払もせず枕から電球まで全部自動車で持つて行つた」云々という趣旨を供述して居り、前示田島、緒方等の供述とを綜合すると○チ○の父は無職で○チ○等の働きによつて生活して居り兄はヒロポンの中毒者で物の役に立たない貧困家庭であればこそ普通ならば特飲店などで使つた品物などけがらはしくて持つて行けない筈なのに前借の支払もせず何一つ残さず持つて行つたところからみて其の心情が如何なるものであるかを知ることが出来被告人の弱味につけ込んで出来る丈け搾取しようとしたものであると云うことが出来る、この様な環境の中にある○田○チ○はもとより親兄姉等の供述は俄に措信し難い。

第三点原審は上述の如く極めて信憑力の弱い○田○チ○の証言のみを理由に形式的に故意犯を認めて被告人に対し懲役六月に処しているが、此種事犯に付ては起訴事実が二又は三個もある如きものに対しても(尤も過失犯としてゞはあるが)多くの場合罰金刑を以て処せられて居り体刑を科することは極めて稀である。本件の審理の経過を詳細に検討してみるに過失犯から故意犯に変更されたものであるが、○田○チ○の警察検察庁に於ける供述は公判廷に於ける供述とは異つていないにも拘らず当初は過失犯として起訴しながら後に故意犯としたのは如何なる理由によるのか其の理由を知る由も無が本件の如き事犯に対しては罰金刑を以て処罰するのが他の同種事犯との均衡上至当である。殊に被告人は本件のため日夜反省し苦脳してこの様な仕事をやめて前の建築業に復して居る者に対して懲役刑を科する必要は毫も存しない、然るに原審は敢えて懲役刑に処し控訴審に於ても単に記録のみによつて形式的に被告人の控訴を棄却したのは事実の認定を誤つたのみでなく量刑甚だしく不当であるから破棄の上更に相当御判決あらんことを求めるものである。

以上

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